読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1998年9月発行 広報よみたん / 4頁

字別構想の概況紹介№22 渡具知 海は友だち、自然を活かした村づくり

 本村では、平成7年3月に村内23区全ての「読谷村字別構想」を策定しました。
 これは、字というコミュニティーを出発点として、個性的で自立的な「21世紀をめざした村づくり」をめざすもので、字別構想は、①地区の特性と課題、②地区づくりの目標、③地区づくりの施策、④推進事業の四項目にまとめられました。
 地区づくりの目標では、各字毎にユニークなキャッチフレーズが付けられており、「広報よみたん」では、その特色ある構想(村勢要覧に掲載)をシリーズで随時紹介します。

プロフィール
 『絵図郷村帳』(1649年)に“渡ロ“と記されている古い集落である。比謝川河口を天然の良港として昔から文物の交流地として栄えた。一方、薩摩侵略と沖縄戦時の米軍上陸拠点ともなった。戦後は軍用地に接収されて字比謝に集団居住したが、復帰後軍用地の返還にともない土地改良事業や復帰先地整備事業が実施され、徐々に復帰居住してきた。なおスイカ、メロン、花卉などが早くから集約型の農業が発展した。現在、集落前面を通過する国道パイバス整備事業や泊城公園整備事業が進められている。行政区加入人口829(216世帯)で、村内では中規模の地区である。

地区づくりの目標
 天川ぬ池に遊ぶおしどりぬ
 想い羽の契りゆすやしらん
 比謝橋のうすや水いちゃて戻る
 我身や里いちゃてなまど戻る
 比謝川の流れを琉歌にのせて下ると、そこは山紫水明の渡具知であった。東シナ海へ注ぐ入り江は山原船が行き交う港として栄えた。戦前までは、渡具知の人々は比謝川の恩恵を受けて育ってきたが、先の大戦では壊滅的な被害を受けた。しかしながら区民は戦後、幾多の苦難を乗り越えて復興し、さらに軍用地の返還後は農地整備と住宅地整備により新たなむらづくりに取り組んできた。今日、国道バイパス整備が予定され、渡具知の姿は大きく変わろうとしている。河口から北にのびる白浜とともに自然環境を大切にして“海は友だち、自然を活かしたむらづくり" を推進する。

西浜(いりはま)整備計画
 比謝川-泊城-西浜の水辺ラインは渡具知を代表する自然遺産である。泊城から比謝川沿いは比謝川沿岸整備計画の一環として、現在公園整備事業が進められている。一方、西浜はビーチ利用に際して、ゴミの産卵や焚火による白砂の汚れが目立ってきている。将来は国道バイパスにより利用者が増加することが予想され、自然資源の保護を含めた全体の利用・保全計画の策定が必要である。

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